土佐一条家
... さまざまな謀略の手を弟である吉良親貞をつかって土佐一条家を追い詰めた。 追い詰められた兼定は、長宗我部家と内通していた疑いをもった家臣の土居土居宗珊を討った。これにたいして吉良親貞はも兼定追放を画策し、家臣団は兼定を豊後に追った。 ...

「戦国無双2・猛将伝」出るよ?
... 赤井直正とか松永久秀とか鈴木重意とか足利義輝とか内藤宗勝とか細川藤孝とか吉川元春とか長宗我部元親とか香宗我部親泰とか吉良親貞とか大友宗麟とか高橋紹運とか龍造寺隆信とか鍋島直茂とか島津家久とか。 まあ、いいや。 ...

長宗我部1556年春の戦略
今季は他国状況じゃーー!! 「更新フェーズ」では、世継の吉良親貞(軍事5、内政9)が加わりました。内政9はありがたいですね!! 「軍備フェーズ」では、安芸国虎に兵を2増やして3にします。 ...

長宗我部1562年夏の戦略
... 吉良親貞(軍事5、内政9) 3→8 「政略フェーズ」では、移動を行います。 「作戦フェーズ」では、伊予の国分山城と鷺ノ森城を攻撃することにします。 初めて2城攻めることができます!! ↑伊予の状況 「合戦フェーズ」では ...

日本人の心 ~ 夢と生きがい
... 兄弟は吉良親貞、香宗我部親泰、島弥九郎親益。 子に信親、親和(香川五郎次郎)、親忠(津野孫次郎)、盛親、右近大夫、康豊(吉田氏) がいる。 一生の算段 ...

吉良 親貞(きら ちかさだ、天文 (元号) 天文10年(1541年) - 天正4年7月15日 (旧暦) 7月15日(1576年8月9日))は長宗我部元親の弟。
長宗我部国親の次男に当たる。1563年、兄の命で吉良氏を継ぎ、その後は土佐一条氏 一条氏討伐で多数の軍功を挙げ、元親に代わって総大将を務めることもあった。一条兼定の追放も、この親貞の尽力あってのことと言われている。
1575年、一条兼定が再起を図って土佐に攻め込んできたとき、一時、長宗我部氏は窮地に陥ったが、親貞が四万十川の戦いで一条軍を大いに破り、その窮地を救っている。しかし翌年、病を得て死去した。
親貞の死は長宗我部氏にとって大きな損失であり、もし、もう少し長生きしていれば、元親の四国平定は五年は早まったであろうことは確実であると言われる。
吉良親貞の詳細